回復者の声 —— 体験談

「回復」は決して夢物語ではありません
ここには、依存症から立ち直り、新しい人生を歩み始めた仲間たちの物語があります

あなたも必ず回復できます。その証がここにあります。

回復者スタッフ

💙 「地獄から希望へ —— 覚醒剤依存からの生還」

田村 健一さん(仮名)・42歳・回復歴5年・現在スタッフとして勤務

18歳で初めて覚醒剤に手を出してから、20年以上もの間、薬物に支配された人生を送りました。暴力団との関わり、逮捕、刑務所への服役を3回繰り返し、家族からも見放され、この世に自分の居場所はもうないと思っていました。最後の出所後、「もう一度薬物に手を出したら死ぬしかない」という絶望の中で、偶然出会ったのが回復支援施設でした。

入寮当初は正直、「こんなところで何が変わるんだ」と半信半疑でした。しかし、ミーティングで仲間の話を聞くうちに、涙が止まらなくなりました。彼らは私と同じ地獄を見てきた人たちでした。そして、今は笑顔で回復について語っている。「俺にもできるかもしれない」。初めてそう思えた瞬間でした。

回復の道は決して平坦ではありませんでした。使いたい衝動に何度も襲われ、仲間に電話して夜通し話を聞いてもらったこともありました。でも、諦めずに12ステップを一つひとつ実践し、自分の過去と向き合い、償いを続けました。3年目に初めて母に謝罪できた時、彼女は泣きながら「よく生きていてくれた」と言ってくれました。

今はひごのいえの回復者スタッフとして、かつての自分と同じように苦しむ仲間のサポートをしています。施設で学んだ回復の道を、熊本の地で伝えています。薬物に支配されていた人生から、誰かの希望になれる人生へ。回復は可能です。あなたにも必ずできます。一緒に歩みましょう。

アルコール依存症

💗 「失ったすべてを取り戻す旅 —— 酒がすべてだった私」

中村 美咲さん(仮名)・38歳・回復中(2025年3月入寮)

大学時代からお酒が好きで、社会人になってからはストレス発散のために毎晩飲むようになりました。最初は楽しい晩酌のつもりでしたが、気づけば朝から飲まないと手が震え、仕事も行けなくなっていました。夫は愛想を尽かし離婚、二人の子供は元夫が引き取り、私は孤独なアパートで一人、酒に溺れる日々を送っていました。「もう人生終わった」。そう思いながら、それでも酒をやめられませんでした。

救急搬送された病院で、肝臓の数値が危険水準にあることを告げられました。医師から「このままでは1年以内に命を落とす」と言われ、初めて本気で怖くなりました。病院のソーシャルワーカーが紹介してくれたのが、ひごのいえでした。2025年3月に開設されたばかりの女性専用施設「らぽーる」があると聞き、「女性だけの環境なら安心できるかもしれない」と思い、勇気を出して見学に行きました。

入寮して最初の2ヶ月は離脱症状と不安で地獄のようでした。でも、女性スタッフや女性の仲間たちが24時間そばにいてくれて、「大丈夫、あなたは一人じゃない」と繰り返し言ってくれました。グループミーティングで初めて自分の本音を話せた時、涙が溢れて止まりませんでした。ここには私を否定しない人たちがいる。女性だけの空間だからこそ、心を開けた。そう実感できた瞬間でした。

まだ回復の途中ですが、今は毎日が充実しています。プログラムを通じて自分と向き合い、少しずつ自信を取り戻せています。いつか子供たちと笑顔で会える日を夢見て、一日一日を大切に生きています。女性の皆さん、らぽーるは安全で温かい場所です。一緒に回復の道を歩みましょう。

ギャンブル依存症

🧡 「借金2000万からの再生 —— パチンコに狂った10年間」

佐藤 裕介さん(仮名)・45歳・回復歴1年半(2024年春入寮)

パチンコとの出会いは22歳の時でした。最初は友人と遊び半分で行っていましたが、大当たりした時の興奮が忘れられず、気づけば毎日通うようになっていました。勝った日は「これで生活できる」と思い、負けた日は「次は取り返せる」と信じて通い続けました。消費者金融、銀行カードローン、闇金と借り入れ先を増やし、最終的に借金は2000万円を超えました。妻は子供を連れて実家に帰り、会社も解雇され、ホームレス寸前でした。

「もう死ぬしかない」と思った時、偶然立ち寄った公共施設でギャンブル依存症の相談窓口のポスターを見ました。藁にもすがる思いで電話をかけ、紹介されたのがひごのいえでした。正直、「ギャンブルをやめれば解決する」と軽く考えていましたが、それは大きな間違いでした。ギャンブルは症状であり、問題は私の生き方そのものにあったのです。

入寮してからの1年間は、自分と向き合う苦しい日々でした。12ステッププログラムを通じて、自分がなぜギャンブルに逃げていたのか、何から逃げていたのかを見つめ直しました。仲間との対話の中で、私は幼少期から父親に認められたくて必死で、でも決して満たされることがなかったトラウマに気づきました。ギャンブルは、その空虚感を埋めるための麻酔だったのです。

今は債務整理を終え、地道に働いて借金を返済しています。元妻とはまだ復縁できていませんが、月に一度、子供たちと会えるようになりました。パチンコ店の前を通ることもありますが、もう心は動きません。ギャンブルよりも大切なものを取り戻せた今、人生に感謝しています。

薬物依存症

💜 「19歳からの回復 —— 大麻から覚醒剤へ、そして希望へ」

山本 大輔さん(仮名)・25歳・回復歴1年(2024年春入寮)

高校時代、友人に誘われて初めて大麻を使いました。「海外では合法だし、タバコより害が少ない」という言葉を信じ、軽い気持ちでした。しかし、大麻では物足りなくなり、19歳で覚醒剤に手を出しました。最初は週末だけのつもりでしたが、すぐに毎日使うようになり、大学は中退、バイトもクビになり、気づけば売人の手伝いまでしていました。「まだ若いから大丈夫」と思っていましたが、21歳で逮捕され、執行猶予がつきました。

出所後、保護観察官から「回復支援施設に行くか、また刑務所に戻るかだ」と言われ、渋々ながらひごのいえを訪れました。最初の数ヶ月は年上の仲間ばかりで居心地が悪く、「俺はこいつらとは違う」と思っていました。でも、彼らの体験談を聞くうちに、自分も同じ道を歩んでいることに気づきました。このままでは30代、40代になっても薬物に支配され続ける。そう思った時、初めて本気で回復したいと思いました。

若いからこそ、回復後の人生は長いです。スタッフから「君には未来がある」と言われた時、涙が出ました。12ステップを通じて自分の弱さを認め、仲間に支えられながら、一日一日をクリーンに生きることを学びました。今は施設を出て、アルバイトをしながら専門学校に通っています。将来は福祉の仕事をして、かつての自分のような若者を助けたいと思っています。

若い皆さん、まだ間に合います。薬物に奪われた青春は戻りませんが、これからの人生は自分で作れます。僕にできたんだから、あなたにもできます。勇気を出して、一歩を踏み出してください。

回復者スタッフ

💚 「絶望の底から這い上がった15年 —— 複合依存との闘い」

木村 誠さん(仮名)・50歳・回復歴8年・現在スタッフとして勤務

アルコールは20代から、薬物は30代から始まりました。仕事のストレスから酒に逃げ、酒が切れると覚醒剤を使う。そんな悪循環の中で、家族、仕事、家、健康、すべてを失いました。3度の逮捕、2度の服役を経て、もう誰も私を信じてくれませんでした。母親でさえ「もう関わりたくない」と言いました。人生のどん底でした。ホームレス同然の生活の中で、死ぬことばかり考えていました。

ある日、炊き出しのボランティアの方から「回復支援施設という場所がある」と聞きました。最後の望みをかけて訪れたのが、栃木の施設でした。そこで出会った代表の方は、私がどんなにボロボロでも、どんなに信用できない人間でも、「必ず回復できる」と言ってくれました。その言葉を信じて、私は回復の道を歩み始めました。

回復には8年かかりました。最初の3年は何度も使いたい衝動に襲われ、仲間やスタッフに助けられました。12ステップを通じて、自分がどれだけ多くの人を傷つけてきたかを知り、償いを始めました。母との関係修復には5年かかりましたが、今では月に一度、実家で一緒に食事をしています。「よく生き直してくれた」と言われた時、これまでの苦しみがすべて報われた気がしました。

今はひごのいえの回復者スタッフとして、同じ苦しみを抱える仲間を支えています。私が栃木の施設で学んだ回復の道を、今度は熊本のひごのいえで伝えています。どんなに深い絶望の中にいても、回復は可能です。私が生きた証です。あなたも必ず回復できます。諦めないでください。

🌸 あなたの物語も、ここから始まります

ここに紹介した5人の仲間たちは、みな地獄のような日々を経験しました。
でも今、彼らは笑顔で「回復できた」と語ります。
あなたも必ず回復できます。

私たちはあなたの勇気ある一歩を待っています。
一人で悩まず、まずはご相談ください。

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